マレーシア基本情報

運営者メッセージ

山根 直樹(静岡オフィス責任者)メッセージ

初めまして。

マレーシア留学ネット代表の山根 直樹です。

私は元々英語で落ちこぼれ、語学が大っ嫌いな子でした。

そんな私が、今では英語のみならず中国語も使って仕事をしています。友達も、中国・台湾・タイ・韓国・ベトナム・オーストラリアなど、たくさんの国にいます。

私がこうしてマレーシア留学ネットを始められたのも、外国語が出来たからです。

英語にしろ、中国語にしろ、外国語ができるとすっごく楽しいですよ!!

私は、大学3年を終了した時点で休学をして留学しました。その当時、留学したからといって語学ができるようになれる保証はどこにもありませんでした。また、同級生より長く学生時代を過ごすので、就職活動時不利になるというリスクもありました。

しかし、私には『語学ができないというコンプレックスをなくしたい』という明確な目標がありました。そして、強い目的のおかげで、想像以上の成果を上げて帰国しました。

あの時の私は自信に満ち溢れていました。皆さんにもあの感覚を味わって欲しいと思っています。

もしあなたが、しっかりとした夢、目標、目的を持って留学に臨むならば、

私は、あなたにとって留学は、あなたを幸せにする大きなターニングポイントになると信じています。

そんなあなたの自己実現の地に、私はアメリカでもなく、イギリスでもなく、カナダでもなく、オーストラリアでもなく、マレーシアをご紹介しています。

実は、たまたま仕事でマレーシアを訪れた時に、ビビっと来たんです。

これから留学するならマレーシアだと。しかし実際帰国してから調べてみると、日本にとってマレーシア留学というのは無名の様でした。実際、マレーシア留学している日本人は、ほぼ皆無です。日本にはマレーシア専門の留学エージェントはありませんでした。

マレーシアについて調べるうちに、マレーシアの教育レベルおよび大学の国際化が非常に進んでいる事も分かり、予想以上の魅力を感じてました。

私の語学ができなかった経験、中国・オーストラリアに留学した経験、実際に語学を使う仕事をした経験から、語学留学にしろ、大学進学にしろ、次につながる留学をするならマレーシアだと思います。

日本人・外国人だからと特別視しない、非常にフレンドリーな国民性、東南アジアらしいのんびりした気質、英語・中国語・マレー語・タミル語等、たくさんの言語が飛び交い2・3か国語できるのは当たり前という環境。マレーシアは初学者から上級者まで、外国語を学ぶのにこの上ない環境だと思います。

また仕事の事を考えても、マレーシアはこれから経済成長の可能性を大いに秘めたアセアン諸国、中東諸国と密な関係もあり、マレーシアで一時期過ごすというのは大きな財産になると思います。

留学はゴールではありません。語学は生き物です。使わなければ、一生懸命勉強しても忘れて行ってしまいます。私は日本の経済状況を考えても、これからは世界に目を向けていかなければ、安定した生活ができなくなってくると考えています。だから今、留学を考えているあなたには、留学を通して成長して、自分に自信をつけて、次につなげてほしいと思っていますし、次につなげるためのサポートをしていきます。

あなたもマレーシアで希望の光見つけませんか?

山根 直樹(やまね なおき)経歴

出身地

鳥取県鳥取市生まれ。

小学6年10月~中学校卒業:香港日本人学校

父の海外赴任に同行するため、家族一緒に昔ながらののどかな田舎の生活からアジア屈指の大都市生活へ。鳥取の駅の改札は未だに自動化されていませんが、香港の地下鉄(MTR)でチケットを自動改札にシュッと通す事に興奮していました。香港生活は、今の私の人生につながる人生初の大きなターニングポイントでした。しかし日本人学校に通っていたため、日常生活で日本語以外必要とせず外国語は全くできませんでした。

高校:同志社国際高等学校

関西の帰国子女受入校という事もあり、非常に語学力が高い学校でした。しかし当の私は、そんな周りの影響で英語に対するコンプレックスが煮えくり返る高校生活でした。言うまでもなく、英語は大、大、大嫌いな科目でした!

大学:同志社大学

サークルにバイト、夢の大学生活と思いきや、私の進学した学部は日本で2番目の留年率を誇り、レポートに追われる日々でした。小さい頃から「アメリカ人みたいに大学生になってから勉強する(私はなぜかそう思っていましたが、本当にアメリカ人は大学になるまで勉強しないわけではありません)」って言って勉強してこなかったので、夢の大学生活は諦めて勉強を頑張った大学生活。しかし興味が持てず、ただ苦しかったのみ。しかし何とか4年で卒業できるめどが立ち、3年終了時、中国留学を決意。この決断が私の人生2番目の大きなターニングポイントです。

留学:大連外国語学院(大学)、東北財経大学、遼寧師範大学、オーストラリア国立クイーンズランド大学

中国語ができるようにならなかったらという恐怖と、絶対に中国語を身につけて帰るという気持ちから、始めから全速力で勉強。日本の大学と違い、楽しくて楽しくて、勉強するのは苦痛じゃなかったです。本当に一生懸命になりたかったものに出会いました!1年の留学予定でしたが、クラスメートの大手商社役員だった方から『仕事で使えるレベルにするために後1年勉強しなさい』とアドバイスを頂き、1年延長。他の留学生から語学留学は学位を取りに来ているわけではないから、最後のテストを受けなければ、1ヶ月分の学費が節約できると妙案を頂き、お金と時間を節約できたので、日本の学校が始まるまでの3ヶ月間を英語のブラッシュアップのためオーストラリアに語学留学。帰国後、大学以外の活動等での表彰制度である同志社大学育英奨学金にて、留学の成果を大学から評価され、数人の中の1人に選ばれました。ふたを開けてみるとなかにはスポーツの国際大会で優秀な成績を収めた人もおり、そんな人と肩を並べられるのが気恥ずかしくもあり、嬉しかったです。

社会人:商社勤務

海外と関係ある仕事で将来は起業したいという漠然とした思いがあり、将来の独立を考えて就職。仕事では中国語、英語を生かすのみならず、今会社経営をする上で、必要となる事、大切な事をたくさん学びました。このような経験ができたのは、外国語ができる、中国を熟知している事(社内にそのような人材がいなかった)から、新入社員の時から経営者を初めとする幹部社員と仕事を共にしたり、意見、提案等をして注目されていたので、大きな仕事を任されるチャンスを得やすかったからだと思っています。私の人生3番目の大きなターニングポイントです。

マレーシア留学ネット

1人1人のお客様の自己実現をお手伝いさせていただく積み重ねが、私の人生の4番目の大きなターニングポイントになると信じ、日々頑張っています!

冨山 洋平(東京オフィス責任者)メッセージ

はじめまして。

これからあなたのマレーシア留学をお手伝いをさせていただく冨山 洋平と申します。

留学するための書類の提出から、慣れない海外での生活、はたまた将来の就職までの道のりもサポートさせていただきます。海外留学は、あなたの人生にとってとても大きな決断です。そしてその大きな決断の裏には、あなたを飛躍させたいと願う様々な方のサポートがあります。あなたはそれを一身に背負って、海外で事を成し遂げなければなりません。私たちはあなたが安心して勉学に励めるように、裏でしっかりと支えます。

そこで今日は、私自身の自己紹介を踏まえながら、留学する皆さんに「逆境で生き抜く術」を紹介させていただきたいと思います。

落ちこぼれで恥ずかしがり屋のコンプレックス持ちだった私が、海外の大学へ留学し、アメリカ最大手の銀行に入社するまで。そこには決まったノウハウというものはありませんが、それを成し遂げるための心の持ち方は必要です。

留学期間はあっという間に過ぎてしまいます。その短い時間を生かすも殺すもあなた次第。

私は自分の経験から、留学するあなたがどういう心構えで、どんな留学をしたいのかを聞きながら、あなたの留学をあなたの人生にとって意味のあるものにしたいと思っています。私の経験がこれから留学される皆さんの役に立つなら、私にしか伝えられないことを伝えたいと強く思っています。

冨山 洋平(とみやま ようへい)経歴

小学生:日本

私は小学生の頃、極度の恥ずかしがり屋でした。クラスで先生が何か質問をして、仮に答えが分かっていても絶対に手を挙げない、挙げる勇気のない、そんな子でした。そんな私が小学校高学年のとき、親の仕事の関係でアメリカへ行くことになったのです。

小学生:アメリカ

10歳、ABCさえもやったことのなかった私にとって、現地校は正直辛い毎日でした。授業にはついていけない、理解ができない、おまけに質問をする勇気もありませんでした。そして自分にも環境にも自信を失った私は、完全に現地の小学校で落ちこぼれになりました。変わりたかったけど、変われませんでした。それが私の中の逆境で生まれた「コンプレックス」です。

中学生:アメリカ

中学生になっても、私は英語が話せるようになりませんでした。だって、言葉って間違いを恐れずに自分からどんどん話していかないと本当に上手くなりませんから!

恥ずかしがり屋の私は英語を話すことを避けていましたし、ミスして笑われることを恐れていました。だから、いくら海外で生活していたからといって話せるようになる訳がなかったのです。日本に一時帰国したら周りに必ず言われることは「英語ペラペラなんでしょ?すごいね!」

これ、私のコンプレックスをさらに大きくした言葉です。

高校生:同志社国際高等学校

そんな人生に自信のないまま、私は日本の高校に進学しました。勉強について行くのはとても大変でしたが、この国で日本語で生活できるようになったことは自分にとって嬉しい環境でした。ただ、やはり周りの人には私が英語ペラペラの帰国子女と思われていたようで、その現実と、本当にペラペラになりたかった理想の自分とのギャップに悔しい思いをしたのを覚えています。

このままでいいのだろうか?

大学生:同志社大学 ― イギリス大学

小中学校から抱いてきたコンプレックスに決着をつけなければなりませんでした。今、戦わなければ一生後悔する。そう思って京都の大学に入学したとき、その学校がやっている交換留学プログラムに思い切って応募しました。

夏休み返上で図書館にこもり、死ぬほどTOEFLを勉強し、授業の単位も努力して取りました。交換留学プログラムに欠かせない推薦状を得るために教授と親しくもなりました。その結果、数少ない枠をクリアし、晴れて大学の代表としてイギリスの名門大学へ交換留学させていただくことになったのです。そして、この時点で心に決めていたことがありました。絶対に英語が話せないというコンプレックスを払拭する、そのために恥ずかしがらずどんどん間違えてもいいから、話し続けようと。心に誓いました。

あの時、私に推薦状を書いてくれた教授に言われたことがあります。人には必ずやらなければならない「今」がある。

あなたの「今」は、いつですか?

たったの1年という交換留学の期間は、あっという間に過ぎました。授業についていくのは本当に大変でしたが、その分充実した毎日を送ることができました。また留学中、私はとにかく恥も外聞もなく、ひたすら現地の人と話し続けたのです。日本人のコミュニティには私は一切関与しませんでした。

「今」やるべきことは日本人と仲良くなることじゃない。落ちこぼれだった自分が、自分の過去と堂々と向き合い、打ち克った瞬間だったのだと思います。

外資系銀行勤務

私はその後、イギリスで学んだことを糧に、英語を使える外資系の金融機関に就職したいという夢を持つようになりました。帰国して何度も何度も面接に落ちましたが、諦めませんでした。自己分析をし、何が悪かったのか、どうしたら面接官が振り向いてくれるのかをとことん考えたのは言うまでもありません。そしてシティバンク銀行という、当時は米国で最大手の銀行に入社し、銀行の資金を運用する外国為替のトレーダーになりました。

それから15年間、シティバンク銀行でバイスプレジデント(課長から部長の間くらいの肩書き)になるまで働きました。私が会社を辞めると打ち明けたとき、ありがたいことにたくさんの人に止めてもらいましたが、自分の判断は間違っていないと思っています。