こんにちは。
マレーシア留学ネットの山根です。
先日、ある学校が倒産という記事が出ました。
(記事は、現在リンク切れのため、こちらからご覧下さい)
記事の見出しは、『倒産』となっていますが、実際には、『民事再生』を目指すようなので、この学校法人がなくなってしまう訳でもありませんし、この学校に通っている学生が、学生の身分を失ってしまうわけでもありません。
今日は、この記事から、『進学先選び』について考えてみたいと思います。
有名大学を卒業しても就職先が見つけられない人がたくさんいる昨今、『日本の教育は駄目』と言い切られてしまわれる方もおられますが、私は、そうは思いません。
日本の学校には、日本の学校の、マレーシアの学校にはマレーシアの学校の魅力、デメリット、それぞれあると考えています。
さて、先ほどの記事に戻りますが、記事になっている学校は消滅せず、路頭に迷う学生も出なくてよかったよかったと言っていいのでしょうか?ポイントは、『民事再生』なのですが、あなたは、『民事再生』ってどういう事かご存知ですか?
ニュースなんかで言葉だけは聞いた事があるかもしれませんが、、、、、、具体的にどうなる事なのでしょうか?
民事再生というのは、借金を払いきれなくなり倒産状態にありながら、経営者は変わることなく、同じ経営者が払いきれなくなった借金を一部免除してもらったり、銀行等から追加の借金をさせてもらう事により、再生を図る制度です。
なぜこのような制度があるかというと、倒産させてしまうと、お金を貸している人たちは、貸したお金の大半が返ってこなくなります。そこで今殺してしまう(=倒産させてしまう)よりも、借金の一部を免除したり、返す期限を先延ばしする事により、利益が出る状態で存続させ、1円でも多く貸しているお金を回収するためです。
この学校もこのような形で、倒産する事なく、存続し続ける事ができるわけなのですが、『利益が出る』状態に改善しなければなりません。お金を貸している人たちは、借金の一部免除や支払期限の先延ばしをするわけですから、この学校に対して厳しい要求を突き付けるはずです。
会社の場合は、これでよいのかもしれませんが、教育機関である、学校はそれでいいのかと、私は『?』です。
どういう事かと言いますと、会社にしろ、学校にしろ、一番大きくお金がかかっている部分は、そこで働いている人に対する費用(=給与)です。
通常時は、労働者を守るために何もないのに給与を下げる事や解雇(=首にする事)はできないのですが、民事再生を行う際には、利益が出る状態にするために、人の数を減らしたり、給与を下げたりできます。
そうすると、最少人数で学校を回す事を考えると、先生やその他スタッフの方が忙しくなるため、必要最低限の事しか提供できなくなるかもしれません。力のある先生は、給与が下がってしまうのを嫌がって他校に移っていかれるかもしれません。
そうすると学校が学生に提供できる教育の質はどうしても低くなる可能性が高くなります。
今、日本の多くの学校は、生き残りをかけて『学生の確保』及び『経費削減』に力を入れています。
『不要な電気を消す』であったり、『備品等の購入業者を複数設けて法外な価格での物品の購入は避ける』等の経費削減は大切だと思います。
しかし、学校は、人材を育成していく機関です。
日本が強い国であり続けるためには、よりよい人材を確保する必要があります。
その一番重要な部分を担っていく学校は、目先の利益のみを追いかけてはいけないと思いますし、より質の高い教育をしていくために経費削減よりももっと投資をしていかなければいけないと思います。
『詰め込み式教育=悪』として、『多様な学生を受け入れる』という建前のもとにAO(Admissions Office)入試を取り入れる学校が増えていますが、これは学生のためではなく、学校経営のためではないのか(=目先の利益追求)と思ってしまいます。
もちろん、すべての学校のAO入試を否定するわけではありません。本当に学生にとって価値のある制度として提供しておられる大学はたくさんあります。
しかし、有名、無名にかかわらず、学生確保に重きが行き過ぎている学校は少なくないと思います。
特に有名大学の場合は、受験では入学できる学力がない学生にとっては、入学できてうれしいと思います。
しかし、社会は、『どこの大学を卒業したか』から『何を学んできたか』に重きを置き始めている今、とりあえず有名大学に入学する事はあまり意味がない(価値がない)と私は考えます。
日本の大学は変わりつつありますが、一部の大学、学部を除いて、勉強する環境がまだ整っていません。そういうような状況でAO入試を通して一芸で入学できてしまうと、高等教育機関であるはずの大学が、(語弊恐れずに汚い表現をしますが)高校でも勉強せず、大学でも勉強せずというバカの量産機関になってしまいます。
しかも、AO入試は専願としている大学がありますが、これではあからさまな学校都合の『学生確保』戦略(AO入試は一般的に夏ごろ実施されるため、受験による入試の前にある程度の学生数を確保してしまう戦略)であり『多様な学生を受け入れる』というのは、完全な後付の理由になってしまっていると思います。
時代は、学歴社会から大学で何を学んできたかが大切になろうとしてきています。
その中で、偏差値のみでの学校選びは、時代遅れで、あなたの将来を考えるとあまり意味がありません。
これからの学校選びは、あなたは将来何がしたくて、その夢を叶えるためには何が必要かという事を考えた上で、その必要となる知識、経験、体験、能力が得られるのは、どこの大学かと考えるのがあなたの人生を明るい希望のあるものへと変えてくれると思います。
そのため、日本の大学がよいのか、マレーシアの大学がよいのかは人によって異なります。
ある人にとっては、自己実現をするために日本の大学に進学した方がよいでしょう。
また、ある人にとっては、自己実現をするためにマレーシアの大学に進学した方がよいでしょう。
そのために、マレーシア留学ネットでは、マレーシアの大学進学ありきというアドバイスは致しません。